2009年4月10日金曜日

上流下流こだわり論

「ものづくり立国」を標榜する我国では、当然のことではあろうが、「ものづくり」が上流で、「もの売り」が下流と言われている。「もの」を売る前に、「づくり」がある以上それを上流と呼ぶのは当然といえばそれまでのことだが、そのことが「高機能なもの」を作りさえすればいいという信仰になってはいないだろうか。いまさら、言うまでもないことではあるが、SeedとNeedは一方通行ではなく、双方向である。
また、「ものづくり」を利益に結びつけるためには、価値創造と価値獲得の2つの要因が必要である。そして、価値獲得で重要なのは差別化・独自性で、補完的資源としては、販売チャネルとブランドの2つがなければ、価値獲得は難しいと言われている(延岡健太郎、(2006))。
さらに、古くはChandler, Jr.(1977)が、厳密な言い方ではないが、「もの売り」を前方といい、「ものづくり」を後方といっている。また、新しいところではTeboul(2006)が販売・サービスを表舞台といい、サプライチェーンを裏舞台といっている。何も、海外の考え方だからといって担ぐ心算はないが、「ものづくり上流論」には、「ガラパゴス製品」をついつい作ってしまう危うさを感じる。
一方、ソフトウェアの世界では、「上流」、「超上流」という言葉が俄然注目を集めている。このこと自体は悪いことではないが、この言葉を聞くと、新しい工場建設に携わったのであれば、工場計画もできるだろうという昔話を思い出す。計画と建設は全く異なる知識領域あるいは文化を持っていると思う。したがって、「上流」という言葉は「下流から遡れる」という印象を与えかねないという危うさを感じる。
エンジニアリング業界では、「上流」に相当する業務をFEED(Front End Eng-
ineering)と呼んでいる。エンジニアリング業界に身を置いたことのある筆者としては、この言葉の方に親しみを感じる。ハードウェア・エンジニアリングとソフトウェア・エンジニアリングとを同一視する心算はないが。
もしかすると、「上流・下流」と「前方・後方」という言葉遣いは、「縦社会」と「横社会」の意識の差からくるものであろうか、あるいは単なる「事大主義」であろうか。

1 件のコメント:

  1. 貴重なご意見とおもいます。
    しかしながら、
    upstream:上流
    downstream:下流
    が日本語と英語が同じ意味合いをもつのか、どうか。
    同じように、
    しばしば誤解する人が多いのですが、
    high level:高い水準
    low level:低い水準
    となるのかどうか、翻訳の微妙な誤りも含まれているようにおもいます。
    サプライチェンが供給者の視点だからダメで、デマンドチェーンといいなおすべきという議論も、基本的なコミュニケーションミス、ゆるやかな「誤訳」とおもっています。
    ついでながら、enduserを末端利用者と訳した人がいるのですが、末端となんだ、卑下しているという、批判がありました。しかし、endにはそういう卑下したニュアンスはなかったように感じています。front-endと同様にです。
    その意味で「誤訳」をもとに議論を拡張することは、誤解を拡大させるような気がしています。

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